毒持つウィステリアに沈みゆく | libre

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毒持つウィステリアに沈みゆく

  • 2020/02/14 19:55

刀剣/長谷部ネームレス夢/大学生現パロ

 

 教室の入り口すぐ。あ、でも一列目は寒いし教授の字が見えづらいから、三列目の一番端の席なんだけど。日によって多少のずれはあるものの、私はよくその席を陣取っている。そこは、頬杖をついて講義を聴くふりで斜め後ろを向くと、お気に入りの男の子のいるグループがちらりと見える場所だった。
 学部が違う長谷部くんと唯一会える講義――逆に言えば、ここでしか会えない講義だから、ちょっとでも見られたらなって。
 どこか物静かで、いつも凛としていて、真面目で。なのに、決して和を乱すことのない彼は、不思議とその賑やかな男の子のグループ内に馴染んでいるようだった。
 けれど今日は、人目を引くはずのその姿がないまま、講義が始まってしまった。
 長谷部くんが講義をサボるなんてことはないと思うから、もしかすると体調でも悪いのかもしれない。寂しいと感じるよりも心配する気持ちばかりが先に立つ。
 大丈夫かな。最近寒いから、風邪でも引いちゃったのかな。
 開始二分。心配でそわそわし始めたとき、教室の扉が開いた。
「すみません、遅れてしまいました」
 きっちり着こなしたシングルボタンのロングコートの襟元で長いウールマフラーを柔らかくなびかせて、暖房でよどむ空気に入り込む一陣の風みたいに、颯爽と彼はやってきた。
 日頃の態度が真面目だからだろう。教授はまったく気を悪くした様子もなく中へ入るように言い、長谷部くんは一礼して入室し――私の、前の席に、座った。
 へえ、長谷部くんって襟足こんな風になってるんだ。
 ……。
 いやあちょっと近いなあ! ちょっとどころかすごく近い! 目の前! 手を伸ばしたら触れる距離ってやつ! 後頭部からでも格好良さがにじみ出てる! 推しメンの突然の接近で、さっきまでとは違う意味でそわそわするんだけど!
 全身全霊で動揺する私をよそに(私の気持ちなんか知らないから当たり前だけど)、長谷部くんは涼しげだった。あまり座り心地のよくない椅子の浅すぎず深すぎずの位置に腰かけ、背筋をスッと伸ばして、遅れてきたとも思えないくらい静かにそこへ溶け込んでいる。
 不思議なことに――本当に不思議なことに、彼の後ろ姿を見ているだけで、心がしんと静まっていくのがわかった。
 ふと。あ、そうか、って、息をするみたいに、自然と理解した。
 溢れる品格や、立ち振る舞いの清らかさ。それから、周囲に合わすことができる分別と、それでも決して崩れることのない自信めいた彼らしさが、まぶしくて、心地よくて――だから私は、長谷部くんのことが、好き、なんだな、って。
 一旦静まったはずの動揺が、形を変えた。甘く苦しい鼓動になって、さっきよりも激しく脈打つ。
 そうやって私が恋を自覚した、瞬間。
 淡い亜麻色の髪がかすかに揺れ、長谷部くんが、後ろを、こちらを振り返った。切れ長のきれいな瞳が細められ、
「俺のこと、いつも見ていたでしょう?」
 低いささやきに、胸が貫かれた。
 自分でも真っ赤だとわかるほど、顔が火照る。耳も、首も、全身に火がついたみたいに熱が駆けめぐっていく。
「次は隣に座るから、そのつもりで」
 教室の端っこで誰にも聞こえないようひそめた声は、私の耳にだけはクリアに届いた。
 何もかも突然のことで目の前がくらくらする。心臓が飛び出ていきそうなくらい跳ねている。
 それでも、震えるほど戸惑いながらうなずく。
 すると、まるで何もかも見透かしているみたいに。私ですら気がついたばかりの恋心を知っていたみたいに。訳知り顔に咲いた藤色の眼差しが、ほころんだ。
 ――来週の講義からは、一つ隣にずれた席が、私の指定席。

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