照る、月明かり
- 2006/05/06 17:29
FF6/ロックネームレス夢
新緑を連想させる初夏の風は、月の御前に居座るなとでも言いたげだ。
飛空艇ブラックジャック号の甲板に薫る優しい風が、夜空へ薄くはびこる雲をなぎ払った。そして、そのまま群青色を身に纏うトレジャーハンターにも吹く。
幾何学模様の入るバンダナで留めた髪は、極薄いブラウンにも似た銀色。長すぎず短すぎない頭髪はさわさわと揺れ、今宵の満月を受けては鮮やかな煌きを見せた。
その僅か数メートルとない先に、女が一人。
まだ冷たい夜風を気にも留めず、今夜の見事な満月を見上げるでもなく、甲板の手摺を両手で握り締めたままで立ち尽くしている。青白い満月のせいか、儚く映る後ろ姿が強い拒絶を思わせる。
しかし、見過ごすわけにはいかないという持ち前の優しさと、愛した女から目を背けたことで起きてしまった過去への贖罪。二つの思いに背押されて、深い蒼に包まれた男は彼女の隣へ歩みを寄せた。
「眠れないのか?」
「ロック……。ううん、眠れないわけじゃないの」
出来る限り静寂を崩さぬよう留意された気遣いのお陰で、女はさして胸の内を荒らされることもなく、軽く顔の向きをずらすだけでロックの姿を確認する。
驚かさずに済んだことが安堵を呼んだのか、彼は年齢の割に幼い猫のような顔立ちを穏やかに歪めた。
邪気も無く笑うロックを見て、ひどい自己嫌悪の念が浮かんだ。苛まれる意識に耐え切れずに、視線をどこか遠くの地平線へ送る。
――別の意味で胸中がざわついたことなど、彼には知る由も無い。
ロックの心はいつでも、守りきれずに失ってしまった過去の恋人の元にある。その事実に、切ない焦れを覚え始めたのは一体いつだっただろうか。
つい今し方考えていた事柄が、本人を前にして一気に溢れ出しそうになった。
「じゃあ、何で悲しそうな顔してるんだ、って質問に変えようか」
「……そう、見える?」
早く寝ろよと言い残して、部屋に戻ってくれればいいのに。
笑顔の下に隠していた願いが叶わなかったことに気付いて、女は些か伏せ目がちに大地を眺めた。
セッツァー艇長ご自慢のブラックジャック号は鯨の如き大きな体を横たえ、ジドールの脇の海沿いで眠りについている。海の向こうで、ガストラ帝国領の北方に位置するツェンの街灯りが朧げに揺らいだ。
「ああ、何だか身投げでもしそうだ」
冗談めかして言いながら、ロックは右側より吹く潮風から庇うよう、彼女の右隣にさり気なく移動する。手摺を両手で掴み、一度大きく伸びをしたかと思うと、くるりと身体を反転させて背を預けた。
押し付けがましくない思いやりが、胸をぎゅっと締め付けた。海辺独特の強い風から守られて楽になったはずなのに、女の呼吸は一層苦しいものになる。
「……だったら、きっとロックを恨みながら身を投げるんだろうな」
「俺を……?」
「冗談。もうロックったら、真面目な顔しないで」
思慮深い彼が眉根を寄せて不安げに見れば、彼女は一度だけこちらへ向き、微笑をたたえて海へ眼差しを戻した。凪いだ海面に映る満月を、その瞳が捉えて――刹那、彼女の表情がうっすら曇ったのを、ロックは見逃さなかった。
風を受けて露わになっていた額、揺らぐ毛先、強く主張しない鼻梁、何かを堪えて伏せられた瞼の睫毛。女の横顔を照らす月明かりは、なだらかな曲線を青白く縁取っている。
初夏の潮風が、愛おしさに近い胸のざわつきをロックの心に呼び寄せる。
そうして生まれた、一瞬の間の後、
「本当に俺のせいじゃないのか?」
息を呑み、憂いを込めた両眼で彼女を見つめた。
しばらく返事のない様子を訝って、手摺に乗せられたままの手に、ロックはグローブを着けた己の手を重ねる。瞬間、彼女の肩が小さく怯えた風情の震えを見せた。
やはり、返答はない。
ただ重ねただけだった革手袋越しの手を軽く握れば、ようやく女がロックへと顔を向ける。幻想的に照りながらも悲しげな陰を面立ちに残したまま、やはり仄青く月光を受ける唇を微動させた。
「もし、もしもそうだとしたら……どうするの?」
「……勿論、すぐに謝るよ。謝って、悪いところを直せるようにしてみるさ」
幼子を諭すよう柔らかく放たれたロックの声と、空で煌々と輝く青い満月の魔力。
せめて彼の過去の傷が癒えるまでは言わないとしていた女の決意を、それらが易々と拭い去っていく。
「……じゃあ、ロック。『優しくしてごめん』って、そう謝ってくれる……?」
あまりにも予想外の台詞に、ロックは灰色が混ざったブラウンの猫目を大きく見開いた。
その驚きの表情を見なくとも、女にはこれ以上は言ってはいけないと分かっていた。それでも、一旦告げてしまったものが戻りもしなければ、喉を突く二の句を堪えることも出来なかった。
言葉を失うロックへ、目頭が熱くなり始めた悲しい瞳を向ける。
「あなたの優しさが切なくて、胸が痛いの。……痛くて、涙が出そうになる……っ」
「……、っ!」
最後、本当に涙が零れる寸前。
好きになって、ごめんね――そう言い切った彼女は、優しく重ねられていた手を振り払って部屋へ戻った。握り締めた温もりを失い、ロックは弾けるように顔を上げる。
それでも、足は動かなかった。
まるで後ろから抱き留められているみたいに足が竦み、追いかけるたったの一歩が出ない。
駆け寄って、今すぐ抱き締めたい。そう願う気持ちも、決して嘘じゃないのに――。
過去に羽交い締めされたお前に、彼女を追う資格などはないと囁くような月光を浴びて、飛空艇の甲板にぼんやり伸びるロックの影。微動だに出来ず、ただ悲しみに暮れるトレジャーハンターの背へ、今宵の月は随分と冷めた光を照らし続けていた。