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わだなかより

  • 2020/05/14 19:54

一次創作/#文字書き情景描写大会 提出SS/テーマ『海辺の街』 

 

 光の通る日中であれば水泡にきらめく美しい海は、今、目を開けているのか閉じているのかもわからなくなるほどの暗さに沈んでいる。海中の音は、母の胎内で聞いていた音に似ていると聞くが、この真っ暗なうねりにおいては、轟々とした唸り声にしか聞こえない。
 それでも、辛うじて。怖気を震う夜の海に呑まれながら、私は辛うじて生きていた。
 乗っていた船に何が起きたのかはわからない。ただ、他の乗客や恋人とともに甲板から投げ出された先が、この荒れた海だった。
 肉体が海流に翻弄される。上下の感覚は消え失せた。肺の酸素はもう無いに等しい。口からごぽりと漏れた今の息で、底を突いた。
 もし、もしも――文字通り泡沫と消えた今の酸素が、恋人との最期の口づけで交わされたものでなければ、私は、もう生きることを諦めていただろう。
 身をよじる。
 これが最後の抵抗だった。彼の想いを、命を、無駄にしないためにできる、最後の。
 だが、絶望から逃れるため必死で闇の中へ手を伸ばす私に、海は容赦なく牙を剥いた。抗いようのない自然の脅威に、なす術なく私の全てが呑み込まれていく。
 朦朧とする中で、希望を求める指先に何かが触れる。それが先に逝った彼に見えたような気がしたのを最後に、意識は海へと散っていった。

 

 ウミネコのみゃおみゃあおという鳴き声が、上空から聞こえてくる。
 気がつくと、私は流木に抱きつくような格好で海へ浮かんでいた。あれからどうなったのか定かではなかったが、奇跡的に命を繋いだらしい。
 ひどく気だるい体に鞭を打ち、首をもたげる。
 さざ波が、ほの赤く染まっている。見れば空の大半が雲に覆われているにも関わらず、切れ目からは朝焼けが漏れている。東の空では、雲の下から徐々に強い光が昇ってきている。その反対側――西の空の下には、曙色に染まりながら朝を迎えようとしてる海岸線があった。
 ぷかりぷかり、私はゆっくりと岸へ流れていく。少しずつ海岸へ近づくにつれ、街の存在に気がついた。
 街の輪郭が鮮明になっていくと、体の内側から、助かるんだ、という実感が生まれた。
 港で波に揺られる船が、息づくように上下している。街の明かりが、日の出とともに窓へと灯っていく。白んでいく空の下、海辺の街に住まう人々の営みを感じると、私の中で失われつつあった生命力が戻ってくるようだった。
 安心感と同時に、喪失感が襲う。恋人を喪った悲しみが、ふつふつと湧く。
 一日の暮らしを始める街に、朝虹がかかる。それが、視界が涙で滲んだせいなのか、それとも今日もまた雨模様だと知らせるものなのかわからないまま、私はただ波間に嗚咽をこぼした。

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