雨が降る前に | libre

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雨が降る前に

  • 2019/07/02 18:26

文マヨ/なかはらさんネームレス夢/『文スト』ではなく『文マヨ』です

 

 潮の香りに紛れる、雨の微かな匂い――。
 スン、と。形のよい鼻を小さく動かした中原は、一歩半後ろを歩く女へ、顔だけで振り返った。
「こりゃあ雨が降るな……。少し先を急ぐぞ」
「えっ? 雨……ですか?」
 女は天を仰ぎ、不思議そうな表情を浮かべる。其れも致し方ないだろう、頭上には青空が広がっている。だが、己の嗅覚は間違いなくこの後の雨を確信していた。
「手前は黙って着いてくりゃあいい。……そら」
 後ろへ手を伸ばすと、紫陽花寺と称される処へ往くのだからと誂えた紬の袖が軽く揺れる。其れに目を落とした女が、暫し黙して動きを止めた。
「そら、手を出せよ」
 手をもう一度上げて見せる。其れで漸く女は、恐る恐る白い手を和服から覗かせ、差し出した。もどかしい気持ちで握り、ふと視線を上げると――其処に、頬を染めた初心な顔があった。途端、己の行いに羞恥が生まれ、鼓動が酷く大きくなる。
 然し、この期に及んで、握ってしまった手を離すわけにもいくまい。
「……、……莫迦野郎」
 己にしか聞こえぬ小さな言葉は、未だ降らぬ気の利いた雨へと向けて。続く悪態を、僅かに熱を持った息ごと呑み込んで、繋いだ手を引いてゆるりと歩き出した。

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